Travis Japan への道- I
現在2023年10月、Travis Japan にはまるまで自分が何を推してきたか。
2015年12月、人生初のジャニーズ推し誕生
この台湾エンタメ期間がしばらく続いて、忘れもしない2015年12月。私はあるドラマを偶然観てしまう。相変わらず日本のドラマには魅かれず台湾ドラマばかり見ていたころ、既に放送開始してしばらく経ったドラマの一場面に釘付けに。
誰なんだこの人!こんな俳優さんが日本にいたの!?
誰だ!それが山下智久さん、山Pでした。
ジャニーズと知りびっくり。ジャニーズに何の思い入れもなかった自分は(それどころか苦手だった)やまぴーを知らず、周りの友達に驚かれたんだけれど、そこから山Pのことを調べまくる。
ところが、FM番組をやっているのか(クロスペ)! 聴くぞ! と思ったらちょっと前に番組終了。
英語の冠番組(山PのKiss 英語)を持っているのか!!観るぞ! と思ったら次の週には終了。
なんだこれ?!
あのころは山Pは飯島組所属。派閥があると見られていた頃で、Jr. 、News時代に仲の良かった先輩も仲間も、テレビなどで山Pの名前を出すことはなく、絡みもない。
あったのはSMAPとキスマイだけだったそう。これを外から見た私の眼にはそれがめちゃくちゃ理不尽に映った。やまとまはどこへ行った?!みたいな。
活躍の場が一気に減ったとはいえ、山Pのコンテンツは既に彼のキャリアから、公、俗ともに大量にあった。私は専らアジア、台湾アイドル推し時代の情報入手先からやまぴー関連の情報も手に入ったのでFCに入るまでお世話になった。
あちらのFandomは強い!そして初心者に手厚い。日本ではNGになるものもたくさん保管してあって共有している。また個人のコメントをどんどん増やしていくスレッドへの書き込みも面白い!ので夢中になった。今はもうないかもしれないが”百度”系の”貼吧”の山Pファンスレがとても充実していた。
凄かったのは毎週金曜日にストリーミング配信していたファン提供の山P番組。あの頃山Pが持っていた毎朝15分のラジオ番組を中国語、英語の字幕を付けて音声と一緒に動画にしたり、過去のドラマをそのまま配信したり、山Pのドラマの日本語セリフを解説・発音・練習するレッスン動画を配信するなど愛情もプロ魂もたっぷりのコンテンツもあった。(愛があっても日本ではできないけれど)
もちろん、国内の先輩 Sweties ファンのブログはめちゃめちゃ参考になって、そのお陰で勇気を出して、人生初!!ファンクラブというものに入る。
しかも自分に一番縁遠いと思っていた Johnny's のFCに入って山下智久さんの2016年のFFツアー、2018年のUnleashedと友達を誘ってライブに行き アーティスト+アイドルのキラキラなんだけどそれだけじゃないエンタメに感動する。これがジャニーズか!という感じ。
2018年 ーーー ジュニアと出会う
2018年の11月山Pのコンサートで初めて東京、神奈川を離れて神戸へ遠征。
このときはうちの末っ子・二男が高校生になっていて、もうお母さんが家を空けても大丈夫になっていた。彼が高校生になったころから、年に1,2回ではあったiけれど、出張で1週間家を空けることもあったりして、子育てなどなどで家から離れられなかった時期は過ぎて少しずつ慣れていった感じ。
山Pのコンサートには地元の友達を誘っていったのだけれど、MCで山Pが後輩のジュニアたちとその子たちがやっているJr チャンネルなるものの紹介をしてくれた。
それより前に、亀と山がMステに出た時にバックで踊っていた子たちかなと、頭に浮かんだ。身長が高い大きい子たちだったな。でもジュニアというのか?!?!
それがスノストで、山Pの話に出てきたのはストの高知くんと京本くんだった。
山Pが後輩を応援してねと言ったから ! Sixtones をジュニアチャンネルで見るようになった。(単純!)
その後すぐにストがあの「ジャニーズをデジタルに放つ新世代」キャンペーンが始まりストにハマる。そこから怒涛のJaponica Style、Youtube Fanfesがあって毎週金曜日は必ずストTubeを見る日が始まった。田中樹くんが推しだった。
樹が沖縄で大盛りの焼きそばを前にうつろな目をして食べているシーンが大好き♪
樹くんが「如恵留くん」と呼ぶことがたまーーーーにあるけれどそれが大好き♪
そこからまだしばらくは Jr. チャンネルは金曜日しか見ていなくて、トラジャと出会うまではもう少し時間がかかる・・・。
TJへの道ー II へ 続く